世界中の全員がLGBTだったらどうなるの?
多くのLGBTの人たちは、望もうが望むまいが、結果的にはフリーセックスを楽しんで人口増加には貢献しないのは事実で、でも福利厚生はちゃんと享受する必要がある(と、当事者たちは確信している)。
もしも世界の全員がLGBTだったら、人類が滅んでしまうので、より地位の低い人が、強制的に子作りさせられるディストピアになりそうですね。
ですが、LGBTの人たちとしては、そんな、生産性などの物差しで評価することは人権無視でナチスドイツと同様のありえない蛮行、ということなので、では人類は滅びるしかないのでしょう。
100%ダウン症しか生まない主婦がいたとして、ただただ子沢山の家庭に憧れて、ただただダウン症の子供を10人産んだとしたら、それは多様性のある社会に貢献する立派な行為なのでしょうか。
50歳を超えた生産性のない引きこもりたちの面倒を見るのは、少子化日本で生まれる子供たちで、今のLGBTの人たちの老後の面倒ももちろん見ることになるのでしょう。
引きこもりで働けない人たちも、多様の中の一様なので、何も問題はありません。
なので、子供達が将来、何も成さなかった引きこもりたちの面倒を税金によって負担することは当然の務めで、多様性のある社会の実現のためには当たり前のことで、誰もが諸手を挙げて賛成すべき、良いことなのです。
本当にそうなのでしょうか?
多様性を認め続けると、その先には何が実現されるのでしょうか。
生産性を一切評価しない社会の先には、何が実現されるのでしょうか。
本当にユートピアになるとは、なぜか、思えないのですが。そう思ってしまうこと自体が、優生思想に基づいた誤った観念があるからなのでしょうか。
死刑があってもなくても変わらないものがある
厳密にいうとブラジルとかは
「戦時下の軍部の重大犯罪以外は死刑廃止」
なので完全に廃止されているわけではないが、
一般国民には適用されていないので廃止と考えて良い。
ブラジルって死刑禁止なんですね。グロサイトとか見てると分かるんですが、
「ブラジルの刑務所で、ペドフィリアの囚人が、他の囚人からリンチされてぶっ殺される動画」
なんてのがそこら中にアップロードされています。
そういった行為が、現地の人たちにどう認識されているのか知りませんが、
「ブラジルの刑務所で、ペドフィリアの囚人をぶっ殺した囚人がリンチされてぶっ殺される動画」
というのは見たことはないので、それなりに必要悪というか、発展途上国のよくある牧歌的風景として受け入れられているのではないでしょうか。
で、そういったことを全く知らない、世界が暖かくて優しいものだと思えてしまえる想像力貧困極まる一部の人権派が、
「ブラジルは死刑廃止の国! 日本は遅れている!」
みたいなことをほざいてたとしても、そら死刑は廃止されているのかもしれないですが。しかし、結局のところ、
「やりすぎたらぶっ殺されるよ(ぶっ殺されても仕方ないよね)」
っていう、プリミティブな、人間の奥底にある因果応報精神はなくならないのです。
もちろん、北欧の一部の人権先進国なんかは、死刑廃止をした上で、刑務所内の環境もリラックスできるものなのかもしれませんが、それは、少ない国民と小さな土地と恵まれた経済力という三拍子が揃っているから実現できていることなのではないでしょうか。
大半の人権派とか、人道主義者とか、そういう連中は、自分が恵まれていてただ生きてるのが幸せだから、世界の、一見すると理不尽なことが、信じられないのでしょう。
恵まれていてただ生きているのが幸せで、一応、その余裕を他者への配慮に使うだけ、まともなのかもしれませんが、いい迷惑というか、現実との乖離がひどいというか。
それでも、こうした衝突を経て、人間社会全体としては少しずつ良くなっていくのかもしれませんが。
ですが、残念ながら地球に無限の資源があるわけではないので、余裕がある環境を地球上すべてに築くのは無理だから、しょせん無理なのでしょうね。
「社員同士の2次会は妨げないが、上司による強要はだめだという。」
社員同士の2次会は妨げないが、上司による強要はだめだという。
結局、社員同士の二次会に来なかったり、上司による強要じゃない二次会に来なかった奴は「ああ、そういう奴なんだな」って思われるわけですよ。
さらに言えば、一次会すら来ない奴もたまにはいるわけで、そういう奴はやっぱり元よりアウト。下戸だろうがなんだろうが、一次会は来いよという熱い圧力。
そして、一次会または二次会行かないそういう奴らとしては、「そうですよ、私はそういう奴ですよ」で終わりで、結局壁は埋まらないわけです。
だいたい、強要は禁止というのも酔っ払っている連中にそんな判断はつかないだろうし、判定の審判員でも同行させるつもりか?
もう
「社員同士の二次会も禁止、上司ももちろん必ず帰宅すること。」
くらいのルールじゃないと、無意味。
でもそんなルールだと、純粋に飲み会好きな人たちが不公平を被るから、結局こういう、「今も昔も変わらず空気読めよ?」みたいな落とし所のクソルールが生まれて、実際の当事者たちは今までとほとんどそんなに変わらない日々を過ごすわけです。
それをおめでたい頭で「働き方改革です!」みたいに発表して喜んでるけど、結局、ノー残業デーにタイムカードをさっさと切って残業するみたいな当たり障りのない感じ。
そうそれが、日本社会なのです。
とにかく「ベルリン陥落1945」を読んでおけばいい
僕の大好きなヒトラーおじさん。
ヒトラーおじさんのおかげで第一次世界大戦後にドイツは急速に復興して、強国に返り咲いて、国民はみんな大喜び。「すべては総統のおかげだ!」みたいなスローガンが書かれた看板がたくさん作られたらしいです。
そしてほんの10数年後には、ドイツは第二次世界大戦でアメリカとソ連からボコボコに国土を蹂躙されて、東からソ連兵がアーリア娘をレイプしまくって、西からアメリカ軍が空襲でドイツを廃墟にしまくって、死に体のナチスは怯える逃亡兵を勝手に処刑しまくってまさしく地獄絵図。
そして死体と廃墟の中で「すべては総統のおかげだ!」と書いてある看板だけが残っている。そう、すべては総統のおかげなのだ。
という究極のブラックジョークが出てくる「ベルリン陥落1945」。この本面白いんでぜひ読んでください。
あと、このブログもおすすめです。
ritsukoguenther.hatenablog.com
なんか最近の投稿は小説チックになりすぎているけれど、初期の投稿は、まさしく敗戦間際のドイツの断末魔と悲劇と、そして母親の強さが十分に描かれていてとても面白かったです。
国が崩れる、という究極の異常事態に陥ったとき、女性の気持ちの切り替えの速さ、男性はしばらくノックダウンしたまま、みたいな描写が、「ベルリン陥落1945」にも、上記のブログにも描写されていて、興味深かったです。
態度の良い40代無職なら救われるなんて中途半端な希望を与えるなよ
態度の良い40代無職がいたとしてですね。
男なら、助けを求める態度の良い40代無職と、助けを求めてるけど態度の悪い20代のホットな姉ちゃんが隣りにいたら、当然ホットな姉ちゃんのほう助けるよね?
女なら、助けを求める態度の良い40代無職と、助けを求めてるけど態度の悪い20代の高身長イケメンが隣りにいたら、当然高身長イケメンを助けるよね?
そもそも、40代無職を助けるとしたって、せいぜい数万恵むか、介護か清掃かタクシードライバーの仕事を紹介するくらいですよね?
それで、せいぜい年収250万未満で、生きていく態度の良い40代無職。それって、「救われた」んですかね?
まあ確かに、40代無職のリカバリとしては、それでも十分救われたのかもしれません。けど、その程度ですよね? たしかに救われてるんですが、実際には救われたっていうか、事件起こさないだけ、死なないだけですよね?
人生まだまだなんとでもなる20代無職の救われる、とは、レベルが違います。
中途半端な希望を、40代無職に与えないでください。救われないです。
40代無職なんか、基本的には価値は一切ないです。
せいぜい年収250万未満で、一生独身最後は孤独死。それくらいですら最大値なのが、40代無職なんです。
それを受け入れて、生きるしかないんです。
なにせ、年収250万未満でも、便利な道具、おいしい食事、病気にかかっても医者がいる。
そう、それですらが、歴史上類を見ないくらい、最高に恵まれた生活なのですから。
スラム街を油断しきった美女が歩いてて案の定襲われたら、100%襲ったやつだけが悪いのか?
なんか有名ブロガーと言われる人たちの認識が甘すぎる気がしますね。どんな理想郷に生きてるのだろう……。
軽装で登山して遭難して死んだりしたら、そんな初心者相手に自然の猛威を奮った山さんサイドに責任がある! みたいなこと言うのかな。初心者なんだから問題や責任は一切ない! みたいな。
100%山が悪いわけではなく、軽装で登山してもいけるっしょ、という判断に、「問題」はあったのでは。「問題」があったとして、じゃあ登山者が山を舐めすぎ死ぬの当たり前ザマァwwww という話でもないでしょうし。もし、死ぬの当たり前ザマァwwww って言う人がいるのなら、それはその人が間違えているというだけ。
クラブ行ってガンガンに酔っ払って知らない男たちとはしゃぎまわってたら、いつの間にかレイプドラック飲まされてて……みたいなのは、100%男が悪いのかな。そもそもそういう場所に行って、油断しなければ、そうならなかったのでは? もちろん一番悪いのはレイプする男なんだけれど、そういう場にはそういう警戒すべき事項がある、なんていうのは容易に想像がつくはずですし、もう少し自衛について考えなかったのか? とか思ってしまいます。
この辺は、フェミニストからするととんでもない男尊女卑の発想なんでしょうけど、どちらかというと、むしろ女尊男卑のつもりです。男なんかチンポ挿入することしか考えてない奴が一定数いるんだから、気をつけなよ。という。チンポ挿入することしか考えない男に、道理なんか通用しないんです。
これはもしかすると「原因」かもしれませんが、そこに「問題」や「責任」があったとは私は全く思いません。
原因かもしれないけれど、「問題」や「責任」はない、という考え方は、非常に興味深いです。
すごいロジックです、うまく表現できないけど、そうとうやばい気がしますね。
じゃあ他のネット著名人についてはどうなんだ、と言われれば、やはりそれが「hagexさんが容疑者に殺される」理由にはならない、としか言いようがありません。
これで殺されるなら、あなたが殺されていたかも知れませんし、私が殺されていたかも知れません。
なんというか、「あなたが殺されていたかも知れませんし、私が殺されていたかも知れません。」これはただの事実でしょう。
一歩間違えたら(間違えなくても)、運が悪かったら、別の誰かが殺されていたと思いますよ。
割に合わない自業自得や、割に合わない因果応報なんて、世の中には無数にあって、人生なんか簡単に狂うものなんじゃないでしょうか。
うかつな発言や軽々しい晒し上げが原因で殺されたから、それは殺されるに値する行為! 100%因果応報! とかではないとは思いますが、この流れで、この人に、それを言ってしまったから、こうなったのであれば、他の誰かは言わなかったのであれば、そういうスタンスで世の中に顔を出していたのであれば、色々な問題と原因があって、結果的に今回はお釣りが来るくらいの因果応報になってしまったのではないでしょうか。
いったい、どっちの考え方が世の中の多数派なのだろう。
追記、やっぱりこういう考え方も一定数あるようで、よかった。
ネット上で地位を築いて現実にも価値がある人が、ネット上ですら何もない人を晒し上げたのだから。
何も持たなくて、ただ世間への恨みしかなくて、ネット上で小さな小さな承認欲求を満たすしかない本当にかわいそうな哀れな、それでも生きなければならない人。
そんな人を、ネット上で地位を築いて現実でも価値がある人が、軽い気持ちで煽って、その上で現実世界で有名人として講演するんだから、こうなったのは割には合わないかもしれませんが、自業自得でしょう。
有名ブロガーたちが一斉に「なんでこんな事が起きてしまった……」みたいな記事上げてて、「自業自得とは思わない」みたいなこと書いてた人もいたけど、それは違うと思います。
僕は「自業自得」だとは思わない。どんな理由であっても、発した言葉が理由で命を奪われてはならない。
ネット上に限らず、「◯◯は自業自得だと思わない。◯◯をしたからといってXXになることはありえない」みたいな論法をよく聞くけれど、自身の悪い行為が最悪の結果を招いたとしても、それは「割に合わない自業自得で残念」であって、「自業自得ではない」みたいなのは違いますよね?
割に合わない自業自得で、みんなでいじめてたらたまたま一人が復讐された。割には合わなかったけれど、これは防げない事件だったのか?
道端で包丁持ってるキチガイに「なんで道端で包丁持ってるの? 通報しますねwww」みたいに言う人っているのかな。ネット上でだったら言っても安心なのかな。
これからも、居場所のない人たちはネットでくだらない矮小な承認欲求を満たそうとするでしょう。
居場所のある人たちが、そんな哀れな人達を気まぐれに弄んだのなら、はたしてその結果は、幸せなものになるのでしょうか。そんなことをする必要はあったのでしょうか。