ただ生きてるだけで辛い人間にとっては、世界一周なんかダンテの地獄篇と一緒です。
想像してみてください。
そもそも魚料理全般がどうしても嫌いな人に「でもサーモンは脂がのってておいしいよ!」なんて伝えることの意味のなさ。
例えば 多くの人にとっては世界一周はすばらしいことかもしれませんが。
そもそも僕みたいに世界が醜くて嫌いで仕方ない人にとっては、「死ぬ前に世界一周してやろう!」なんか思い浮かばなくて当然です。なんでわざわざ金払ってまで拷問満漢全席に自分から参加したいと思うのか。
僕はただ生物だから生存本能があるせいで積極的に自殺できないから仕方なく生きているだけです。
もう少し自分に積極性があったらさっさとその身を呈して山手線を2時間くらい止めて、駅職員の2人くらいは二度とハンバーグが食べられない体にしていたかもしれません。
ところで、自殺する際に、誰かに自殺を止めてもらって、あるいは死なずに生き残って、そのまま天寿を全うする人はどのくらいいるのでしょうか。
若いうち(30まで?)の衝動的な自殺未遂とかは立ち直ってそのまま生きていきそうだけれど。
先日、知り合いが近所に住んでる知らない婆さんの自殺を止めた、と言っていました。物語としてはそれで終わり。
けれど現実的には、例えばその婆さんが孤独なら、ほんの一時しのぎにしかならないでしょう。
家族がいるのなら、自殺未遂をきっかけにもしかしたら事態が好転するかもしれませんが。しかしそんな家族がいるのなら自殺未遂をそもそも起こさないのではないか。
自殺は年間3万人、なんて言われていますが、いわゆる老人の孤独死もそのくらいあるらしくて、孤独死の原因の中には、「セルフ・ネグレクト」が一定数あるらしいです。
セルフ・ネグレクトっていうのは、要するに生きることが辛くなってしまった人が、生きるための努力を最低限しかせずに死んでいくというものです。
例えば、飲んだくれの一人暮らし老人が人生投げやりになって、肝臓悪くなってるのに酒飲み続けてそのままくたばったら、それは自殺ではない?
統計的には首吊っていないし電車ダイビングもしていないから自殺じゃないかもしれないですが。
これはまあ、緩やかな自殺と考えても差し支えないんじゃないでしょうか。
結局、そもそも生きることに向いていない人にとって今の日本社会という世界は、「おとなしくしていれば肉体的苦痛がたまたま少ない地獄」くらいでしかないんです。