だいたい難破中

弱いものがさらに弱いものを叩き一番弱いものが死ぬ世界

育てるのは親なのだから、育てない選択肢は当然あるべき。

 

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「根底には障害者差別がある!」とかって言うけど、ダウン症だか発達障害だか知らない大男が、外でニコニコしながらブツブツ言ってるのを見て、怖いと思わないとか警戒心低すぎでしょ。「アレは近づいたらやばいな」って差別するのが普通ですよ。

 

ヤクザ見たら怖いと思って目をそらすのが普通なんですし、それをヤクザ差別だから、これからはちゃんと人として接しろ! みたいなこと言われて実践したら、男だったら一ヶ月後には臓器半分くらいなくなって、女だったらお風呂やさんで元気にお仕事する羽目になってますわ。

 

 

 

つい数ヶ月前、元気な知的障害者が暴れまわっている姿と、憔悴しきった母親が必死に周囲に謝っている姿と、ドン引きしている自分の姿がありました。

 

周囲の全員が損してましたよ。憔悴しきった母親に「元気なお子さんですね! 生まれてきてよかったといつも思ってますか?」って満面の笑みで話しかけようかと思いました。

 

普通の健常者の家族ですら、コミュニケーションが上手く行かなくて絶縁だの勘当だのあるのに、知的障害者を絶縁すると知的障害者は暮らしていけないから親が一生面倒みろよ? 血の繋がった子供はかわいいだろ? とかハードモードすぎでしょ。

 

「生まれてきた命は絶対に大切にしないと」

「子供に障害があっても、親なら愛さないと」

 

社会の、ゴミカスみたいな勘違い善意と、既存の障害児を育てて面倒を見ている親の、自己正当化の圧力によって、障害児を育てなくてもよかったかもしれない人たちが苦しみ抜いて疲弊していき、命の大切さを叫ぶ常人達の社会活動によって生まれた、かわいい犬猫のペット候補たちが、殺処分場にじゃんじゃん新規入荷されていく日常。

 

 

 育てるのは親です。なので、少なくとも生まれたての時点では、育てない権利があってもいいでしょう。

 

100年前は産婆さんが生きるに値しない命と判定した赤子は、その場で首ひねられて母親には「死産だった」と伝える優しさがありました。

 

今は、医学の進歩によって、生きるに値しない命でも、膨大なコストをかければ生きられる時代になりました。それが優しさなのかどうかは、僕はわかりません。 

 

 

堕胎はよくて、出生前診断の結果による堕胎もよくて、でも、生まれてきて障害を持ってたら育児放棄したら殺人だ!

 

って、そんなものはくだらない、本当にくだらないゴミみたいな主観です。

 

育てて、一生面倒見るのは親なのだから、外野がどうこう言うことではありません。

 

 

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