死刑があってもなくても変わらないものがある
厳密にいうとブラジルとかは
「戦時下の軍部の重大犯罪以外は死刑廃止」
なので完全に廃止されているわけではないが、
一般国民には適用されていないので廃止と考えて良い。
ブラジルって死刑禁止なんですね。グロサイトとか見てると分かるんですが、
「ブラジルの刑務所で、ペドフィリアの囚人が、他の囚人からリンチされてぶっ殺される動画」
なんてのがそこら中にアップロードされています。
そういった行為が、現地の人たちにどう認識されているのか知りませんが、
「ブラジルの刑務所で、ペドフィリアの囚人をぶっ殺した囚人がリンチされてぶっ殺される動画」
というのは見たことはないので、それなりに必要悪というか、発展途上国のよくある牧歌的風景として受け入れられているのではないでしょうか。
で、そういったことを全く知らない、世界が暖かくて優しいものだと思えてしまえる想像力貧困極まる一部の人権派が、
「ブラジルは死刑廃止の国! 日本は遅れている!」
みたいなことをほざいてたとしても、そら死刑は廃止されているのかもしれないですが。しかし、結局のところ、
「やりすぎたらぶっ殺されるよ(ぶっ殺されても仕方ないよね)」
っていう、プリミティブな、人間の奥底にある因果応報精神はなくならないのです。
もちろん、北欧の一部の人権先進国なんかは、死刑廃止をした上で、刑務所内の環境もリラックスできるものなのかもしれませんが、それは、少ない国民と小さな土地と恵まれた経済力という三拍子が揃っているから実現できていることなのではないでしょうか。
大半の人権派とか、人道主義者とか、そういう連中は、自分が恵まれていてただ生きてるのが幸せだから、世界の、一見すると理不尽なことが、信じられないのでしょう。
恵まれていてただ生きているのが幸せで、一応、その余裕を他者への配慮に使うだけ、まともなのかもしれませんが、いい迷惑というか、現実との乖離がひどいというか。
それでも、こうした衝突を経て、人間社会全体としては少しずつ良くなっていくのかもしれませんが。
ですが、残念ながら地球に無限の資源があるわけではないので、余裕がある環境を地球上すべてに築くのは無理だから、しょせん無理なのでしょうね。