だいたい難破中

弱いものがさらに弱いものを叩き一番弱いものが死ぬ世界

この物語理解できない人って、一体どうやって日常生活送っているんですか。。。??

pokonan.hatenablog.com

 

妻に言われたとおりゴミ捨てて、言われたとおり子供のケーキ買うしプレゼントも買ってあげて、家庭のことだけではなく、上司に叱られた部下の精神的フォローまでちゃんとする(ただしやや不器用な)父親に対して↓

 

朝、会社行くついでにゴミ捨てする程度のことで被害者意識こじらせてる男の日常のどこか、お父さん応援なんだ?
自分だけ準備された風呂に入りさっぱりして、「ごめんね☆」で、やーっと子供のお誕生日会。
この人物の家族思いで優しい場面が何一つないんだけど、どこが優しいんだろ。
しかも、わざわざ子供の誕生日にこの意味不明さってことは、何もない日はもっと好き勝手してると思うし。

 

逆にどこまでネガティブな妄想広げているんですか? 

被害者意識こじらせているのはいったいどちら? 

 

クレーマーっていうこう風にやばい妄想広げて世間に振りまいて周囲に悪影響与えていくんだろうなあ、って寒気を感じました。

 

しかも、わざわざ子供の誕生日にこの意味不明さってことは、何もない日はもっと好き勝手してると思うし。

 

で? なんでですか? なんでそう思うんですか? そう臭わせるシーンありました? それあなたの妄想ですよね? あなたの(想像上の男性という概念に対する)被害者意識ですよね?

 

 

というわけで、トンデモ妄想こじらせブロガーが発狂してブログ大炎上しているのかと思ったら、気持ち悪い肯定コメントいっぱい並んでいるし、びっくりしました。この動画ディスってる人たちって、この動画ディスったら来世で幸せになれるとか書いてある教典とか持ってるんですか?

 

人間なんか完璧な生き物じゃないんだから、妻には妻の道徳が、夫には夫の道徳があるわけで、その道徳を直接ぶつけ合わないようにお互いすり合わせてなんとかうまくやってくのが夫婦生活なわけでしょ。

 

そりゃ不平不満なんてどこの組織にも家族にもありますよ? それでも生きて、疲れたらお風呂入ってすっきりして、そんな程度の話なわけですよね、この動画は?

 

その上で、この物語の旦那を批判できる人って、どれだけ完璧超人なんですか? 周囲の人に不快な想いを何一つさせずに毎日義務と責任果たして生きているんですか? だとしたらあなたは人間じゃなくて完璧超人なので、人間を同じ価値で評価してないでとっとと超人オリンピックにでも出ててくれますか?

 

あと、結婚して子供いないのにこの動画のお父さんディスってる人がいたら、ほんと気持ち悪いのでお願いだから目を覚ましてください。あなたの狂った一方的な正義感は、仮に結婚して子供ができたときに、子供に対する最悪の毒になりますよ。

 

とにかく、本当に気持ち悪い意見ばかりでびっくりしました。

 

別に家長制万歳! 妻は三つ指立てて夫を出迎えろ! って動画でもないのに。下記のような、中立・公平・擁護的な意見ももっとあってもよいのでは。。。?

 

fujipon.hatenablog.com

 

 

ただ生きてるだけで辛い人間にとっては、世界一周なんかダンテの地獄篇と一緒です。

aniram-czech.hatenablog.com

 

想像してみてください。

 

そもそも魚料理全般がどうしても嫌いな人に「でもサーモンは脂がのってておいしいよ!」なんて伝えることの意味のなさ。

 

例えば 多くの人にとっては世界一周はすばらしいことかもしれませんが。

 

そもそも僕みたいに世界が醜くて嫌いで仕方ない人にとっては、「死ぬ前に世界一周してやろう!」なんか思い浮かばなくて当然です。なんでわざわざ金払ってまで拷問満漢全席に自分から参加したいと思うのか。

 

僕はただ生物だから生存本能があるせいで積極的に自殺できないから仕方なく生きているだけです。

もう少し自分に積極性があったらさっさとその身を呈して山手線を2時間くらい止めて、駅職員の2人くらいは二度とハンバーグが食べられない体にしていたかもしれません。

 

ところで、自殺する際に、誰かに自殺を止めてもらって、あるいは死なずに生き残って、そのまま天寿を全うする人はどのくらいいるのでしょうか。

 

若いうち(30まで?)の衝動的な自殺未遂とかは立ち直ってそのまま生きていきそうだけれど。

 

先日、知り合いが近所に住んでる知らない婆さんの自殺を止めた、と言っていました。物語としてはそれで終わり。

 

けれど現実的には、例えばその婆さんが孤独なら、ほんの一時しのぎにしかならないでしょう。

 

家族がいるのなら、自殺未遂をきっかけにもしかしたら事態が好転するかもしれませんが。しかしそんな家族がいるのなら自殺未遂をそもそも起こさないのではないか。

 

自殺は年間3万人、なんて言われていますが、いわゆる老人の孤独死もそのくらいあるらしくて、孤独死の原因の中には、「セルフ・ネグレクト」が一定数あるらしいです。

 

セルフ・ネグレクトっていうのは、要するに生きることが辛くなってしまった人が、生きるための努力を最低限しかせずに死んでいくというものです。

 

例えば、飲んだくれの一人暮らし老人が人生投げやりになって、肝臓悪くなってるのに酒飲み続けてそのままくたばったら、それは自殺ではない?

 

統計的には首吊っていないし電車ダイビングもしていないから自殺じゃないかもしれないですが。

 

これはまあ、緩やかな自殺と考えても差し支えないんじゃないでしょうか。

 

結局、そもそも生きることに向いていない人にとって今の日本社会という世界は、「おとなしくしていれば肉体的苦痛がたまたま少ない地獄」くらいでしかないんです。

 

ほぼすべての人間はわざわざ「この情報は本当か嘘か」に時間を割かないし割けないだけ

shikabane.hatenadiary.com

たまたま目の見えない友人がいる人なんかはこういう機会に悲しんで「嘘を拡散するメディアよくない!」なんていうわけですが。

 

大多数の目の見えない友人がいない人にとっては、動画につけられたタイトルひとつにそこまで考えるきっかけがないし、これだけ情報があふれている中で、

 

「ただ暇つぶしに見てたネットで一つ一つの情報についてそこまで審議を詮索しない」

 

のです。

 

嘘を拡散するメディアは、受け手である人間はバカだから嘘でもなんでもとにかく拡散すれば儲かるから拡散しているだけです。

 

とはいえ、さすがにインターネットの登場により、一日に人間が目の当たりにする情報の量は飛躍的に増えています。

 

現代社会は情報の飽和攻撃であり、すでに人間は人間の生み出す情報に対処できていない

 

と、ドナルド・ネイサン教授の著作に書いてありましたが、まさしくそのとおりで、割とひねくれ者で天邪鬼で、与えられた情報をまず疑ってかかる僕でも、ボーっとしているときやどうでもいいときにはそのまま情報を鵜呑みにしてしまうのです。

 

まあそういうわけで、たまたま目の見えない友人がいるからたまたま気づけただけで、毎日似たような嘘が平然と流され、その事実に僕含めてほとんどの人が気づいていないのです。

 

ではどうしたらいいのか? もちろん解決策なんてなくて、これからも人間は情報の中に埋もれて物事の真偽を見極められず、見極めたとしても思考と志向の違いによってくだらない争いを続けていくのです。

 

 

 

もちろんドナルド・ネイサン教授もその事実に警鐘を鳴らしていましたが、そもそもドナルド・ネイサン教授なんていませんし。

 

いやどっかに同名の教授がいるのかもしれないけれど、まあエロいお姉さんとセックスしたいですね。

 

 

 

 

 

ライト級ボクサー相手に「お前はボクサーではない」といえるのか?

kazenotori.hatenablog.com

ライトノベルというくらいなのだから、ノベル(小説)なのです。

しかしライトノベルというくらいなのだから、ライトなのです。

 

ライト級ボクサーとヘビー級ボクサーが並んでいたとして、ライト級ボクサーなんかヘビー級ボクサー相手にはワンパンKO必至のクソ雑魚ホビットだからボクサーじゃねーよ中つ国に帰ってどうぞwww みたいな喧嘩商売論法は通じないのです。

 

ライト級ボクサーとヘビー級ボクサーは同じくボクサーなのです。

 

しかし体重・身長制限を取っ払って無差別ボクシングトーナメントを開催したらライトボクサーなんか総員枕を並べて一回戦で討ち死にするのも当たり前のことで、結局「ボクシング」に焦点を絞ればライト級ボクサーが活躍することはほぼないでしょう。

 

もちろん、ライト級ボクサーの中にも技巧派やパワータイプなど、いろいろ武器や特徴はあるのですが。

 

さてライトノベルかヘビーノベルかどちらがすばらしいかですが。やはり多少は読み手の年齢や成熟具合と連動すると思われます。

 

そして、身体と年齢だけいい大人になっても心がライトなままのライト博士みたいな連中は世間にいっぱいいます(しかし、心の成熟度は体重・身長みたいに簡単に測れるものではありません)。

 

 

まあ結局、身体と年齢だけいい大人になっていてもいつまで経っても、

 

ライトノベルは純文学を越えた! 人生のすべてをライトノベルに教えてもらった!」

 

という人は残念ながら残念な人で、

 

「普通の小説とかビジネス書も読むけどライトノベルも好きなんだよねー」

 

というのは心のバランスが取れた人で、

 

ライトノベルはキモオタ犯罪者予備軍向けの犯罪推奨書籍! いますぐ焚書して純文学だけをこの世に残すべき!!」

 

とか思っている人は残念ながら残念な人です。 

 

 

僕はライトノベルはそれほど好きではないのですが少年ジャンプはおっさんなのに読んでます。いいおっさんなのにゲームしてます。

 

純文学ばかり読んでいる人も、たまには息抜きにライトノベルを読んでその世界観を楽しんでもいいでしょうし、逆もまた然りです。

 

本来両者が争う要素はどこにもないのですが、人間のすばらしい愚かさは無から殺し合いの戦争を生み出すものなのです。

 

ブログに「広告とほしいものリスト」を貼る予定はあります。

www.keikubi.com

こういう記事をついつい信じてしまう人は「恋空」とか「世界の中心で、愛を叫ぶ」とかですごい感動するんだと思います。

 

すごい涙とか流して、そのあと色々自分に当てはめたりして勝手にポジティブな気持ちになっちゃう。

 

ちなみに僕は、「このブログ書いている人は実際は別のブログ持っててそこではアフィリエイトをしていることを突き止めました!」とかを言いたいのではなく。

 

単純に、何も判断材料がない中で、ただそう書かれているから信じてしまうというサガミオリジナルばりに薄っぺらい精神構造をディスりたいのです。

 

特にそれ以上でもそれ以下でもないのですが、今この世界にある苦しみや憎しみは、こういう記事をついつい信じてしまう人のくだらない優しさや価値観によって生まれているのだから、本当にやめて欲しいなと思いました。

 

ちなみに僕はブログにほしいものリストと広告を貼る予定はあるのですが、一生懸命他人様のブログを引用して記事を書いているにもかかわらず一日10アクセスもないので広告の貼り方とか調べるのだるいのでまだ調べてないけどそのうち貼ります。

 

なぜかというと、お金が欲しいからです。

 

お金が欲しいし、ほしいものは当然ほしいので、誰かからもらえれば自分のお金を使わずに済むし、至れり尽くせりだからです。

 

何より、人間のくだらない心の象徴であるお金があることによって、くだらない生活が豊かになるからです。

 

きれいな女ときれいではない女のどちらの味方をしたくなるのが人間なのか

nomuch.hatenablog.com

 

当たり前のことですが、そこら辺にうようよいるような普通の女ときれいな女が戦っていたら、きれいな女の味方をしたくなるのが、「人間としてごく当たり前の普通の気持ち」です。

 

男だけではなく、女ですら、きれいな女にまず歩み寄ろうとするのです。

 

それは人間の限界であり、人間がただただ表皮の薄皮一枚と私情や欲望でしか物事を判断できない醜い怪物であるという証左でしかないのです。

 

たとえばきれいな女に騙された経験がある男だったり、きれいな女に散々いじめられたきれいではない女だったりすれば、条件反射的にきれいではない女に歩み寄ろうとするでしょう。

 

それは実際のところ賢さではなく、ただの危険に対する条件反射、あるいはきれいな女に選ばれなかった事実から目をそらすための代替オナニーでしかないのです。

 

本当に両者の言い分を正しく評価し、常識や社会的な観点に結び付けて、両者のキャラクターや薄皮一枚を判断の基準におかず、正しく状況を評価し、正しい者の味方をする。

 

そんなことできる人は、人間ではないのです。

 

何もかも知らない外野からしてみれば、きれいな女がそうではない女から絡まれているなあ、かわいそうだなあ、どうせ嫉妬されているんだろうなあ、くらいでしかないのです。

 

れいな女が適当に庇護者になってくれそうな対象をターゲットに接触を図れば、それだけで味方を増やすことができ。そうではない女は、ただ容姿が劣っているというだけで正当に評価されないのです。

 

こうやって物知り顔で偉そうに書いている僕ですら、きれいな女が

 

「あなたはとても冷静で、真実を話せばきっと強い味方になってくれそうです。この件で相談があるので○○で会ってくれませんか?」

 

などと連絡をしてくれば、

 

「どうせ俺を騙して利用しようとしてるだけなんだろ、俺は騙されないぞ」

 

なんて思いながらもノコノコ会いに行ってちょっと潤んだ目で見つめられてついでにちょっとおっぱいでも揉ませてくれようもんなら、ギンギンに怒張した男根が天を突き、ほんの一瞬でその女のために喜んで命すら投げ出す生え抜きの親衛隊に早変わり。

 

本当に、偉そうで立派な人間様なんていうのは、その程度のくだらない存在なのです。

 

 

なのできれいな女はおっぱい揉ませてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かを選ぶということは、何かを選ばないということです。

 

www.from-estonia-with-love.net

 

誰か一人を愛するということは、それ以外の人を愛さないということです。

 

誰か一人と入籍したのなら、その人と入籍している間は他の人とは入籍しないということです。

 

「それは差別じゃなくて区別だ!」

 

みたいな事をいうけれど、選ばれなかった側からすれば差別でも区別でも選別でも等しく辛いこと。

 

そういうことが社会には無数にあって、誰からも選ばれないような魅力のない、例えば僕のような矮小な人間が、ネットの中でだけ浅薄な自分を棚に上げて在日韓国人を差別しているのかもしれない。

 

多くの者に選ばれ、多くの者を選べる人間が「差別なんてやめようよ」なんて上から言っても、底辺には届かないのです。

 

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」みたいな考え方は、想像を絶する底辺には届かないのです。

 

この若いメリケンYouTuberもまた、差別している人を差別しているに過ぎないのです。

 

つまり、差別はなくならないし、あるのが普通で、ただ程度の問題でしかないのです。

 

ひどい差別をする人はおそらくひどい人間なのですが、善良な人間もまた、それなりに差別をするのです。

 

それは誰にも変えることも越えることもできないことだと思います。