だいたい難破中

弱いものがさらに弱いものを叩き一番弱いものが死ぬ世界

リアルタイムで事件の被害が拡大しているときに、「もっと増えるかな」と(おそらくは)期待している自分がいる。

 

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ヤバい事件の一報を目にした時、例えば「死者5人が確定状態で、もっと増えそう」な状態で、「死者5人か……。これ以上絶対に増えませんように!」と心の底から思える人っていうのは、10人中何人くらいいるんでしょう。

 

少なくとも僕は、「これは逃げ道がなかったパターンなら、もっと増えるだろうな」と思いましたし、心の奥底では、「自分とは関係ない非日常」に多少なりとも興奮して、「もっと大きな事件になって欲しい」と無意識的に期待していたと思います。

 

思います、というのは、自分の心だけれど、その心の奥底に何があるのかはよくわからないからです。

 

絶対的に期待しているわけではないけれど、非日常の野次馬になっている自分がたしかにいるわけで、消極的に、対岸の火事が燃え上がることに期待してしまっているんだと思います。自分とは関係ないことなので。

 

犠牲者のことを思うと悲しい気持ちにもなりますし、犯人のことを思うととっとと死ねよとも思いますが、その一方で、事件の被害拡大中には、より刺激を求める自分が存在してしまう。

 

これは、かなり異常なことなのでしょうか。普通の人は皆等しく、これ以上犠牲者が増えないように、と心の底から願っているのか。


例えば、「10人がxxに閉じ込められています」系のニュースでは、「全員死ね」とは思わないのですが。リアルタイムで、状況がわかっていないときには、なぜか歪んだ願望が湧くようです。