被差別対象の人って他の被差別対象にはどう接してるの?
ゲイの人って、芸人のハゲとかブスとかの容姿いじりとかは、笑って観ていられるんですか?
これはけっこう純粋な質問です。
もしゲイの人が芸人の容姿いじりで笑っているのなら、なんでゲイいじりはダメで容姿いじりはいいのか説明してほしいです。
何もかもダメで許せないのなら、どうやって社会と接して生きているか聞きたいです。
ハゲとかブスは生まれつきで、ゲイもまあ生まれつきとして。未だにテレビでネタにされていることと、されていないこと。この二つの違いはなんなんでしょう?
多分ゲイの人がしっかり文句を言った結果、同性愛者はメディアでは揶揄されないようになったんだと思います。
だからこそゲイの人は、自分のことを揶揄されたら怒るけど、ハゲの人たちをいじり倒す番組とかでヘラヘラ笑ってたらそれはおかしいですよね?
あるいはゲイの味方をする人たちも、ハゲとかブスとかで笑ってたらおかしいですよね?
でも多分、人間って自分が当事者じゃないと痛みを理解できないし、さらに半分くらいの人は数年くらいで忘れちゃうから、ゲイの人は容姿いじりをへらへら笑ってみているんじゃないでしょうか。
で、三十年ぶりのホモキャラにブーブー言ってるゲイの人は、例えば手塚治虫の昔の漫画の復刻版に、「くろんぼ」みたいな表現がそのまま使われていて、あとがきに、
「当時の社会情勢ではこういう表現がされていたけど歴史的な意味もあるのであえてそのままにしてあります」
とか書いてあったりするんですが、それに納得するのなら今回の復活も、昔はこういう時代でした、みたいなテロップが流れていたら許していたんでしょうか。
これは本当に悪意はなくて、ただ、どういう神経でホモだけ許さないのか、あるいはすべてを許してないのなら、一体どうやって苦しみながら生きているのか、どういう気持ちなのかを知りたいだけです。
人間自体が醜くて矮小なので、人間であるゲイの人は、ホモだけ許さないんだろうな、というのが私見なのですが。
僕なんかはさらに矮小極まるので、ホモだったらハッテン場ですぐ性欲満たせるからむしろ底辺の異性愛者より得じゃんとか思ってしまいます。
僕みたいな底辺で生きる心の醜い男には、性の対象は容易に近づいてきたりしないので。
ゲイは群れることができるけれど、底辺にはただ自己責任しかないんです。